飽きるまで、モンブランを食べられる幸せ

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小説家の方で、いろんな賞も取れ、描いていた夢がどんどん実現して行って幸せになったのだけれど、

その分、逆に「幸せ」と感じる心のキャパが狭まったと言う話を読みました。

小さな幸せでは、幸せを感じなくなったというのです。

 

それでお酒を飲んで、酔うと「幸せになりたい」と言い続けると言うものでした。

今まで、嬉しいと思っていた事の、価値が低くなってしまったという経験ということのようですが、これは、誰にでも確かにあるようにも思います。

 

毎回、金メダルばかりだった選手が、銀メダルでは、悔しいと泣いていたりします。

一方、その横で、初めてメダル取れたと、喜び幸せをかみしめてる銅メダルの選手がいたりします。銀メダルが不幸で、銅メダルが幸せという状況が隣り合わせで起ったりして。二人とも泣いていたりして。

 

「ちょっとくらいのことでは驚かないよ。」と言うのは、度胸ができたからの言葉ですが、

「ちょっとくらいのことでは幸せを感じないよ。」というのも、有名人の中にもいて、解る気がします。

 

甘いもの食べてる時が幸せという人でも、例えば、モンブランの食べ放題があったとして、一つ目は最高においしくても、2つめ3つめとなるに従っておいしいと言う感覚は減ってきて、5個目くらいからは苦痛になる。

 

モンブランは変わらないのに、喜ばれたり、疎んじられたり。

「もう一つどお?」と勧められて断れずに食べたりして。

 

宝くじ830億のアメリカ女性はどうしたでしょうか?

1万円なんてゴミみたいと感じる様に、感性がシフトしたでしょうか?

幸せすぎて、もう、金運を神様にお願いすることもないでしょうから。

 

道ばたの花が綺麗だとか、言われる方がいますが、物ごとが、うまく行かなくて、不幸な時の方が感じられるかな?と思いました。辛い心に、癒やしが感じられるからです。小さい幸せっていうことと思えます。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、「幸せ」に関しても、受け取る側の状態、受け取り方によって、価値が変わるって事だと思いました。

 

幸せでないから、幸せになりたいと願う。

幸せだと、「幸せに、なりたい。」とは言わない。もう、幸せを手にしてるから。

 

満たされ過ぎて、嬉しいという感触が無くなり、小さな幸せを感じられなくなってしまったと言うような事って、売れっ子芸能人の中にも、見受けられるかと思いますけど、

 

腹一杯の、逆説的な不幸に対しては、ベクトルを変えるキーとなるのは「感謝」する事による意識のシフトではないかと思った次第です。