虹、なんと美しか~

今日、空を見上げると空は青かった。で、イカロスの様に空へ向かって飛んで行っても、その青はどこにあるのか?どこまで行っても、触る事ができない。で、解らないまま宇宙空間に出る。

 

触ることはできないって事は皆知ってるけれど、青空の青を素晴らしいと思ったりする。

 

で、同時に虹についても思った。(何故、虹っていう字は虫へんなんだろう?)白光が分解して7色に。日本では7色っていうけど、アメリカでは6色、ドイツ5色、台湾3色だそうだ。国によって様々だ。中国では不吉の前兆に見られるらしい。

 

赤の隣の橙との間にはっきりした境目が在るわけではなく、無限の色調が存在している。波長の違いが色の違い。赤の外側には、赤外線。紫の外側には紫外線。

 

本当にあるんだろうか?見えないんですけど。見えない物は、存在しない。なんて、未開人じゃないんだから言わないけれど、虫にはみえるのか?

 

まあ、面倒な事ゴタゴタ言ってないで、ただ、虹を感じてみれば、虹は「なんと、美しか~」と感嘆。

 

感嘆するけど、これって一つの価値判断だと気づきました。そこに価値を自分で付けている。虹はただ「在る」だけなのに。プラスの価値判断をすれば、自動的に引きつけられていき、マイナスなら自動的に遠ざける。

 

自分の自動的な価値判断に気づき、いつの間にか築いていた自分らしさという檻から解放されたいと思っています(ミスチル)。ニュートラルで見れる目を持てるんだろうか?

 

私は、ロボットじゃないんだから、知らぬ間に自己にしていたプログラミングから解放されたいと思います。

「えっ!それまでプログラムされた自己にしちゃうの?」

「そうなんです。」

 

 

コロナ下で得たもの

コロナ下で逆に得られたもの

 

小屋, 霧, 自然, 田舎, 山, ヘイズ, 草原, 田畑


毎日、コロナ下の町を見ながら散歩してたら、それぞれの家やマンション、建物に、いろんなデザインが考えられてると思いました。

 

建てる前の、その家の持ち主や、設計者の、美的センスや、こだわりや、工夫が現実化されて顕われている。勿論、機能性も含めてデザインされてる。

 

赤い家、黄色い家、コンクリのビル、板張りの家など。お城調のいえに、崩れそうな空き家。

 

コロナの間、自分の中の何か競争心の様なものが、減って、自分の方が、上手くデザイン出来る。とか、あまり素晴らしい出来の物には、見ないようにしたり、感じないようにしたりしていたかもしれない。

 

価値判断を減らそうと、価値のあることもない事も自分が、感じる事を許したから、今、そこにあるフィーリングを自分なりに感じていくことができる様になったと思いました。

 

なので、建築物だけでなく、植木鉢やゴミ箱にさえ、デザインした人がいるのだな~と思い、そこから来るフィーリングが受け取ろうとすると受け取れるようです。

 

更に言えば、誰が街路灯をポストを、商店街をデザインした?

かっこいい車のデザインした人は、実在してるでしょうけど、

 

誰が虹を設計した?

誰が夕日に色づけしてる?

誰が、月の模様を描いた?

など、大宇宙にまで、行きそうです。

 

目にうつるすべてのものがデザインで、自分に対して、スイッチを入れると、あるいはシフトを変えると、そこから来るフィーリングを受け取れる様にしていけるようだというのが、コロナ下でありながら、プラスとして、気づき身についた事でした。