コロナ下で得たもの

コロナ下で逆に得られたもの

 

小屋, 霧, 自然, 田舎, 山, ヘイズ, 草原, 田畑


毎日、コロナ下の町を見ながら散歩してたら、それぞれの家やマンション、建物に、いろんなデザインが考えられてると思いました。

 

建てる前の、その家の持ち主や、設計者の、美的センスや、こだわりや、工夫が現実化されて顕われている。勿論、機能性も含めてデザインされてる。

 

赤い家、黄色い家、コンクリのビル、板張りの家など。お城調のいえに、崩れそうな空き家。

 

コロナの間、自分の中の何か競争心の様なものが、減って、自分の方が、上手くデザイン出来る。とか、あまり素晴らしい出来の物には、見ないようにしたり、感じないようにしたりしていたかもしれない。

 

価値判断を減らそうと、価値のあることもない事も自分が、感じる事を許したから、今、そこにあるフィーリングを自分なりに感じていくことができる様になったと思いました。

 

なので、建築物だけでなく、植木鉢やゴミ箱にさえ、デザインした人がいるのだな~と思い、そこから来るフィーリングが受け取ろうとすると受け取れるようです。

 

更に言えば、誰が街路灯をポストを、商店街をデザインした?

かっこいい車のデザインした人は、実在してるでしょうけど、

 

誰が虹を設計した?

誰が夕日に色づけしてる?

誰が、月の模様を描いた?

など、大宇宙にまで、行きそうです。

 

目にうつるすべてのものがデザインで、自分に対して、スイッチを入れると、あるいはシフトを変えると、そこから来るフィーリングを受け取れる様にしていけるようだというのが、コロナ下でありながら、プラスとして、気づき身についた事でした。