子供の頃、楽しかった砂利山滑り
民間講習に参加しました。
お題は、「子どものころ楽しかった事」を絵に描くと言う物でした。
書けと言われても全然思い浮びませんでした。
何故、浮ばないんだろう?
やっと出て来たのが、子供の頃、淀橋浄水場のそばにあった
砂利山での光景でした。
段ボールで砂利山を滑り降りるのが楽しかったのです。
でも、何が楽しかったんだろうと思いました。
まあ、少しはその面白さの感触がまだ残っているから、
感じられたので、思い出せたんでしょう。
しかしながら、
人生の各ステージで面白い物は変わって行くということなのでしょう。
もう、今はその楽しさが感じられない。(💧)
他者から見たら何が面白いの?と言われる例はいくつかあります。
友人は、競馬が好きで、凄い頭を使う、推理ゲームだと熱弁をふるっていました。
パチンコ、競輪、競艇。三輪車、おままごと、夜遊び、お医者さんごっこ?
歩き始めた1歳の子は、ただ、よたよたと、歩くことだけで楽しそうです。
身体が起動して、嬉しくて、どこまでも歩いて行ってしまいそうです。
あの素晴らしい楽しさが今はもう感じられない。
これは、大概の大人では楽しい事にエントリーされなさそうです。
当たり前なので。
貯金通帳にお金が貯まって増えて行くのも楽しかったな。
というか、実は、今でもそうでした。
あの頃楽しかった事が、今では楽しくない。人生のあるステージで楽しいと感じてた事が、次のステージでは何が楽しかったんだか分からなくなる。
例えば、お金儲けや、有名になることも、勲章をもらうことも、
次のステージでは意味が無いことになるかもしれません。
今現在、自分が楽しいと感じている事も同じかもしれません。
だからこそ、今、何が楽しいのか探って行くことが大事になるかもしれないです。
例えば、人に褒められて嬉しくなる自分とかが、今現在もいるわけですが、
褒められる事に慣れすぎた人は、褒められても嬉しくないようです。
いつも金メダルを取ってる選手は、金メダルであまり嬉しそうではなさそうです。
一方、私は、今まで、あまり褒められてないから嬉しいようです。
あの頃楽しかった事が、今では楽しさが蘇らない。
人生のあるステージで楽しいと感じてた事が、
次のステージでは何が楽しかったんだか分からなくなる
ということだと思った次第です。
ただ、今の自分の楽しめることを楽しめばいいと言う事のようです。
たとえ、他人が、「それは氷だよ。溶けて消えちゃうよ」と
言ったとしても・・・・・
♬ 名だたる物を追って、輝く物を追って、人は氷ばかり掴む ♬
これが、「地上の星」ともリンクして、講習会での収穫でした。
ペンネーム 夜空の星