節分です。鬼退治で宝物GET。

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昔むかし、桃太郎は、鬼ヶ島に、鬼退治に行きました。

しかし、鬼ってのは、実際は難破した船の乗船員の外国人だったと聞きました。

 

日本書紀にもあるとか、とです。日本特有なのかしら?

なので、鬼退治は、作り話ではなくNONフィクションだったのでしょう。

日本各地に、鬼の痕跡があるようです。

 

例えば、瀬戸内海の小島でも、江ノ島でも、浅瀬で座礁して、難破して、

助けを求めて、岡山県内(鎌倉)あたりへ、泳いで行って、

小っちゃい村人の日本人に、声かけても通じず、

 

最初っから、その外人の大きさにびっくりしてしまって、

モンスターが現れたと逃げ出していた事でしょう。

 

そして、外国人は、日本人に怖れられるだけで、コミュニケーションもとれず、

次第に、食べるものもなくなり、夜間に、島から出て畑から盗んだりしたので、

 

畑を荒らす害獣として、桃太郎は、鬼ヶ島に鬼退治に乗り出したようです。

通訳がいれば不幸は避けられたのに!

 

白人は、色素が少なくて、火照ってる時、顔が赤くみえたりして赤鬼。

寒い時は、青鬼になることも。

もし、黒人が難破船に乗ってたら、黒鬼。頭髪はまさにチリチリでしょう。

白人も散髪出来なければ、なまはげそのものに思えます。

 

外人なんて見たこともない、江戸時代あたりの、

平均身長155センチの日本人には、

180センチクラス以上の白人は鬼だったことでしょう。

直毛の日本人は、巻き毛の頭髪も見たことなかったし。

 

桃太郎が、刀持って退治に行ったのでしょう。

相手は、怪物ですので、全部、刀で殺してしまっても、

ゾンビを殺すのと同じで痛快感だけで、罪悪感もなかったでしょう。

おまけに丸腰で、ばっさばっさと切り捨てて。

 

難破船の中には、その時の政権や、藩主に、お土産として

差し出す宝ものと言われるものが沢山積んであって、

 

殺戮後、それを持って帰って来たら、

そのあと、おじいさんもおばあさんも裕福になって、

楽しく暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

 

内の奥さんは、身長153センチで、いまだにその当時の村人状態で、大きな外人が近くに来るだけで怖がっています。おまけに英語コンプレックスがあります。(余談)

 

ところで、宇宙人が、同じ様に難破して、助けを求めて、

町に出て来て、なんか迫ってきたらどうでしょう? 

第一印象で抹殺されちゃうことも。愛らしいかどうかで、変わってきそうです。

 

地球人が見て、宇宙人が見た目かわいければ生存。

コアラ、レッサーパンダみたいな宇宙人はセーフ。

カピバラ、オランウータンみたいな宇宙人はアウト。

エラ呼吸はアウト。目が1つや3つはアウト。脚も3本以上はアウト。

 

葉緑素の緑の身体は、光合成だけで生きて行けて良いのですが、

地球人からは、抹殺対象。

 

大体、裸で宇宙人は、地球に降立つだろうか?

頭からアンテナ2本立ててるヘルメットの宇宙服を着た宇宙人も、

鬼だと思われちゃうから、駆除。

 

未知の生物に対しては取りあえず、危害を加えられる可能性を過大想定して、

臆病になって対応しなければなりません。

たとえ、彼らが友好的だったとしても、です。

 

アマゾン奥地の種族で、今まで文明に触れて来ずに、生きていた未開人に、

白人が交流を求めて行った時、

友好的にコミュニケーションが取れて良かったのだけれど、

 

その後、白人の体内で、持ち込んだなんでもない細菌やウイルスに対する耐性が、

未開人達にはなかったので、すぐ、皆、滅んでしまいました。

最初から受け入れなければ良かった。

 

これからは宇宙時代。ZOZOの前澤も宇宙に行ったし、

今後、どこかで、難破した宇宙船の宇宙人に遭遇したとしても、

そして、向こうにたとえ危害を与える意図がなかったとしても、

 

私達人類の無病息災、家内安全の為にはやはり、助けない方が良いでしょう。

人道的にはどうかと思いますが、人間じゃないし。

 

節分に引っかけて、と言うような事を考えるに至りました。

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飽きるまで、モンブランを食べられる幸せ

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小説家の方で、いろんな賞も取れ、描いていた夢がどんどん実現して行って幸せになったのだけれど、

その分、逆に「幸せ」と感じる心のキャパが狭まったと言う話を読みました。

小さな幸せでは、幸せを感じなくなったというのです。

 

それでお酒を飲んで、酔うと「幸せになりたい」と言い続けると言うものでした。

今まで、嬉しいと思っていた事の、価値が低くなってしまったという経験ということのようですが、これは、誰にでも確かにあるようにも思います。

 

毎回、金メダルばかりだった選手が、銀メダルでは、悔しいと泣いていたりします。

一方、その横で、初めてメダル取れたと、喜び幸せをかみしめてる銅メダルの選手がいたりします。銀メダルが不幸で、銅メダルが幸せという状況が隣り合わせで起ったりして。二人とも泣いていたりして。

 

「ちょっとくらいのことでは驚かないよ。」と言うのは、度胸ができたからの言葉ですが、

「ちょっとくらいのことでは幸せを感じないよ。」というのも、有名人の中にもいて、解る気がします。

 

甘いもの食べてる時が幸せという人でも、例えば、モンブランの食べ放題があったとして、一つ目は最高においしくても、2つめ3つめとなるに従っておいしいと言う感覚は減ってきて、5個目くらいからは苦痛になる。

 

モンブランは変わらないのに、喜ばれたり、疎んじられたり。

「もう一つどお?」と勧められて断れずに食べたりして。

 

宝くじ830億のアメリカ女性はどうしたでしょうか?

1万円なんてゴミみたいと感じる様に、感性がシフトしたでしょうか?

幸せすぎて、もう、金運を神様にお願いすることもないでしょうから。

 

道ばたの花が綺麗だとか、言われる方がいますが、物ごとが、うまく行かなくて、不幸な時の方が感じられるかな?と思いました。辛い心に、癒やしが感じられるからです。小さい幸せっていうことと思えます。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、「幸せ」に関しても、受け取る側の状態、受け取り方によって、価値が変わるって事だと思いました。

 

幸せでないから、幸せになりたいと願う。

幸せだと、「幸せに、なりたい。」とは言わない。もう、幸せを手にしてるから。

 

満たされ過ぎて、嬉しいという感触が無くなり、小さな幸せを感じられなくなってしまったと言うような事って、売れっ子芸能人の中にも、見受けられるかと思いますけど、

 

腹一杯の、逆説的な不幸に対しては、ベクトルを変えるキーとなるのは「感謝」する事による意識のシフトではないかと思った次第です。

 

眠い時、聞こえてくる声

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夜、寝る前に、ストレッチをしています。

ルーティンとして、時間を決めて、平日、毎日やっています。

 

背骨をねじるポーズ、反らすポーズ、左右に反らすポーズ、腹筋、前屈など

とにかく背骨の各部位に、色々な方向から刺激を与える体操です。

 

ヨガのポーズを、入れてます。

その中で、甲状腺を刺激するポーズもやっています。

若返りホルモン分泌腺を、刺激するとか・・・スクワットも格好だけ50回。

 

ひどく疲れている時でも、ルーティンとしてやっていますが、

このような時は、勝手に色んな人の声、言葉が頭の中に流れてきます。

 

今までずっとそうでしたが、夢と同じ様な物としてスルーしてました。

取るに足らないものとしていました。

 

でも、他の方のブログを参考にし、先日から、メモを取るように

してみました。まだ、サンプルは少ないのですが、

 

「しょうぶさん、5.8でした。」

何の意味もなさそうです。生活のどこかで、5.8が出てくればいいと

思いますが。

 

「まあ、盗んだものは、みんな、返還金のようなもんでしょ。」と

おじさんの声で聞こえました。意味あるのか?おれおれ詐欺か?

 

アメリカのフィラデルフィア通じどんどん成長して行くもの。」

何の意味もないものでしょう。

フィラデルフィアってアメリカだっけ?という位の認識。

 

これらが、デジャブとして今後の生活の中で現実化して聞こえて

来るとは、今のところ思えていません。

 

他の人も概ね、聞こえるのは、同じだと思っていました。そして、何人かの方に

「このような声が、疲れている時など、聞こえることはありませんか?」

と聞く機会がありましたので、聞いたのですが、

 

ある方は、「耳鳴りはある。」「グワングワンという音が聞こえる事はある。」とか、熱が出た時、「同じ夢を何回も見た」とか、そんな話でした。

結局、あまり皆さんから同意は得られませんでした。

 

で、現役公務員の頃、会議中に、眠る訳にはいかないので、目を開けているけど

夢見ここちで、いろんな景色や、言葉が頭の中、廻ったりしていました。

これらは夢同じと捉え、関心も寄せずに過ごしていました。

 

以前、夢は潜在意識からのメッセージと、聞いた事はありますが、

実際は、誰も、そう思えてないし、活用できた事もないようです。

が、どうでしょう?

 

で、どうでも良いことの部類に入ると思いますが、しばらく、聞こえたものを

試しに、メモする事を、やって行ってみようと思います。実証主義です。

 

他者の思考の成り立ちが解らない以上、取りあえず自分の思考に関して

一部でも、人に言える様にして、比較出来る様にしておこうと思います。

まもなく冬期五輪。期待すると、失望する。

プロの競技場のスタンドに、お気に入りのスポーツ チームの成功を祝うファン - sports ストックフォトと画像

 

期待があるところには、その裏側に失望が隠れている。コインの裏表だと習いました。

 

期待しても、思い通りに行かない事の方が多いから、傷つきたくなかったら期待しない事だと習ってきた気がします。

 

従って、いつも自分の期待に注意を向けて、期待しないように、安心安全な状態を維持しようとしてます。

 

親から子への期待っていうのも大きいもののようです。その期待で、親も子も苦しんだり。

期待通り、子供が有名大学に入ったりすると、親の価値も上がって、親も頭良いと思ったり、私達も思ったりしています。

それにしても、、アグネスチャンなんか、息子3人スタンフォードに入れて、凄いなって思っています(余談)

 

新人研修での期待というお話もありました。採用面接の時に、面接官がやってくれそうと思ったから、採用されたんでしょうから、そして、「期待に添えるよう頑張ります。」とか表明して、大丈夫かよって心配になることも。

 

例えば、腕立て伏せ50回のレベルの人が、期待に応える為に期待に後押しされて、60回するとか、期待に応えようと背伸びをして、能力が上がることもあるようですが。

 

一方で潰れる人もいるようです。自己否定し、自己評価は地獄の底まで落ちて。

一方で、何にも期待されないのも淋しいものだと思いますが。

 

オリンピックの選手に対する期待は、金メダル候補が予選で敗退などとなると、見てる私達もがっかりするのが正直なところです。

選手は、皆をがっかりさせて、自分を責めてるコメントが多いようです。「期待に添える事ができなくてすいませんでした。」と言ったりします。

 

こちらの本当の感情では、「正直、がっかりしたよ。」「金じゃなくて銀かよー」なんて言うのが心に起っていても、本人、目の前にしたとしたら言えないでしょうね。

(本人目の前にしたことはないですが、似たような場面には遭遇します。)

 

自分の感情をあるがままに表明できないのは、ちょっとしたストレスです。

 

あくまで、相手に対してポジティブな元気づけが良いと、私は思い込んでいますが難しいです。そして、実際、上手いこと言える人もいるから、驚きます。

 

それにしても、日本人が、金メダルを取ると、自分の価値も上がるってことでしょうか?

何故、そんなに嬉しくなる?帰属意識って奴?

 

運動会でたまたま自分が紅組になると、全然知らない紅組の子が勝っても、やったーと思ってしまう。まあ、そんな意識もナショナリズムを生む基盤なんでしょうか?

 

まあ、トランプ大統領も、アメリカの分断を生み、皆が一体化という事とは、反対の動きをいまだにしています。一体化を期待するのは、もう無理です。

 

もうすぐ冬期五輪ですが、自分がダメージ受けない為には、もう諦めるしかないです。期待すれば裏切られる。耐性のある人もいますが、平安の為には何事も、期待しないことです。とネガティブになってみました(笑)

まあ、五輪に関しては、そんなに深刻な話ではないのですが(笑)

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冒険ゲームをやってます。

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冒険ゲームをやっている。

 

冒険のゲームは、あんまり順調に、進んで行ってしまって、終っても面白くない。

 

時に、敵が出て来て戦って、力が付いていないので、最初の内は、負けてしまう。

リセットして再開する。そしてまた戦って、しばらくすると、

今度は仲間も出来て、今度は力を合わせて

敵を倒して、勝利し、次のステージに進む。

 

別に戦わなくても構わない。ずっと、敵に会わないところで、

動物🐂や植物🌷を育ててもいい。何も悪い事はない。

 

ただ、次のステージに進みたいなら戦わなくてはならない。

ボスキャラと戦って敗れて、ゲームオーバーになっても大丈夫。

 

リセット押せば、また、生き返って、これまでのノウハウも蓄積、駆使して、

旅にでられるから。そして、またも、死んでも大丈夫、生き返るから。

 

だんだん、この人生でも同じと思えてくる。

途中抜けは駄目って言うけど、何故なのか、納得のいく答えは未だない。

 

この星の物質で身体が作られていて、五感を与えられて、

愛を得るため戦って、

敗れ、そしていつの日か、電子と陽子から創られてる

肉体からおさらばして魂になっても、

 

きっと、また、リセット押して、戻って来れるらしいから。

 

澄んだ心を得る為のゲームが再開できる。

ステージは次から次へと絶えることない様に見える。

 

現在、存在しているゲームソフトは一体いくつあるんだろう。

無限にあるとさえ思える。

 

もう、誰もが、長いことゲームをやり続けてるとも聞く。

同じようなゲームを飽きもせず繰り返してる。

 

学ばない奴ら。それとも、このペースで最適なのか?

既に1050億年間くらい続けているとも聞く。

 

まあ、上がっちゃってゲームの世界にいなくなる人もいるようだが、

学んで、上がることより、ずーと、ずーと、ゲームを楽しみたい。

 

永久に、ゲームを続けられるから、今度はもっとハードなやつで、

リアル体験で苦しむ様なゲームにチャレンジしてみようか?

やっぱ、怖い、止めとこう。家内安全祈願。

 

但し、新たなゲームに入る為には、産道を通らねばならないようだ。

まあ、面倒なことではありますが。

                        笛ニックス

子供の頃、楽しかった砂利山滑り

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民間講習に参加しました。

お題は、「子どものころ楽しかった事」を絵に描くと言う物でした。

書けと言われても全然思い浮びませんでした。

何故、浮ばないんだろう?

 

やっと出て来たのが、子供の頃、淀橋浄水場のそばにあった

砂利山での光景でした。

 

段ボールで砂利山を滑り降りるのが楽しかったのです。

でも、何が楽しかったんだろうと思いました。

 

まあ、少しはその面白さの感触がまだ残っているから、

感じられたので、思い出せたんでしょう。

 

しかしながら、

人生の各ステージで面白い物は変わって行くということなのでしょう。

もう、今はその楽しさが感じられない。(💧)

 

他者から見たら何が面白いの?と言われる例はいくつかあります。

友人は、競馬が好きで、凄い頭を使う、推理ゲームだと熱弁をふるっていました。

パチンコ、競輪、競艇。三輪車、おままごと、夜遊び、お医者さんごっこ

 

歩き始めた1歳の子は、ただ、よたよたと、歩くことだけで楽しそうです。

身体が起動して、嬉しくて、どこまでも歩いて行ってしまいそうです。

 

あの素晴らしい楽しさが今はもう感じられない。

これは、大概の大人では楽しい事にエントリーされなさそうです。

当たり前なので

 

貯金通帳にお金が貯まって増えて行くのも楽しかったな。

というか、実は、今でもそうでした。

 

あの頃楽しかった事が、今では楽しくない。人生のあるステージで楽しいと感じてた事が、次のステージでは何が楽しかったんだか分からなくなる。

 

例えば、お金儲けや、有名になることも、勲章をもらうことも、

次のステージでは意味が無いことになるかもしれません。

 

今現在、自分が楽しいと感じている事も同じかもしれません。

だからこそ、今、何が楽しいのか探って行くことが大事になるかもしれないです。

 

例えば、人に褒められて嬉しくなる自分とかが、今現在もいるわけですが、

褒められる事に慣れすぎた人は、褒められても嬉しくないようです

 

いつも金メダルを取ってる選手は、金メダルであまり嬉しそうではなさそうです。

一方、私は、今まで、あまり褒められてないから嬉しいようです。

 

あの頃楽しかった事が、今では楽しさが蘇らない。

人生のあるステージで楽しいと感じてた事が、

次のステージでは何が楽しかったんだか分からなくなる

ということだと思った次第です。

 

ただ、今の自分の楽しめることを楽しめばいいと言う事のようです。

たとえ、他人が、「それは氷だよ。溶けて消えちゃうよ」

言ったとしても・・・・・

 

♬ 名だたる物を追って、輝く物を追って、人は氷ばかり掴む ♬

 

これが、「地上の星」ともリンクして、講習会での収穫でした。

 

                  ペンネーム 夜空の星

血液がどっくんと流れる。

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自分が、どっくんどっくんと血液が心臓から送り出されて

いるのを、改めて、感じた。

 

そうして見ると何気ない顔して座ってる人もどっくんどっくんと血液が送り出されて

いるんだな~と。でも、何気ない顔している。

 

あの美人も、心臓が、本人とは関係なく血液を規則正しく送りだしてる。

あの、段ボールハウスの住人も。

そして、自分もなんだけど。

 

その、一回のどっくんの間にどれだけの酸素が、運ばれているんだろうか?

どれだけの栄養が、各配達先に運ばれているんだろうか?

腸から入った養分が、どっくんって言う度血液に溶け出してる。

 

「で、何が言いたいの?」

 

私達は頭痛の時には、どっくんどっくんに合わせて、頭がギンギンして

そのどっくんのサイクルに意識が行くけど、普段は全く

意識してないな~と。

 

生まれたての時から、ずーと。頼んでもいないのにずーと

どっくんどっくんで、死んだらやっと止まるって事だ。

今は、100年間以上続いてる人もまれではなく

凄いことだな~と思った次第です。

 

で、かつて、病院のトイレの床に、流れ出ていた血を思い出しました。

職員達が取り囲んでました。

 

トイレの中で、女性が手首を・・・だそうでした。

多分その時もどっくんどっくんと流れ出たんだろうと想像しました。